会社概要
会社名 | 福田建設株式会社 |
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本社所在地 | 〒327-0847 栃木県佐野市天神町896 |
電話 | 0283-23-8182 |
ファックス | 0283-24-7128 |
代表 | 代表取締役社長 福田 紳一 |
資本金 | 2,000万円 |
従業員数 | 11人 |
許可 | 総合建設業 栃木県知事許可(般-3)第4663号 一級建築士事務所 栃木県知事登録(Aホ)第2412号 住宅瑕疵担保責任保険 事業者届出番号 21011185-000 |
設計事務所 | 福田建設株式会社 一級建築士事務所 住所:〒327-0847 栃木県佐野市天神町896 TEL:0283-23-8382 |
取引銀行 | 佐野信用金庫 本店 足利銀行 佐野支店 群馬銀行 佐野支店 |
営業品目 |
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アクセス
会社沿革
文政元年(1818年) ~天保4年(1833年) |
始祖建築師である福田勘五郎は、文政元年、江戸尾州の家中藩士 小川勘兵衛・加子夫妻の長男として江戸本郷の藩武家屋敷に生まれる。長じて、江戸末期を迎えて武士として行く末を案じるようになった勘五郎は、小川家にたびたび出入りする大工棟梁の自由溌溂たる態度、いなせ姿に心を惹かれ、ついには天保4年に武士を捨て、徳川家出入りの棟梁 立川小平の元に弟子入りし、心技を磨いた。 |
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天保9年(1838年) | それから5年後、当時将軍家において上州(群馬県)に太田大光院(通称「呑龍様」)を建立するにあたり、幕府普請方出入りの筆頭棟梁として立川小平が選ばれ、太田に赴きその工事を監督するに際して勘五郎も同行し、施工に当った。 |
弘化3年(1846年) | 呑龍様が完成した後、江戸への帰路の途上で、堀田佐野城(別名「植野城」)の城主 堀田候が建築中の邸宅を手掛ける棟梁が友人の沼津の定さんであることを知り、工事への協力を要請された。工事もたけなわであった勘五郎28歳の時、佐野仲町の遠藤喜衛門の強い希望でその婿養子となるが、その後独立し、遠藤家の屋号であった「福田屋」にあやかり姓を「福田」に改めた。 |
~そして、今日 | 勘五郎から以後、子孫代々、林次郎~政吉~唯治~完輔~紳一の六代にわたり170余年を経て、始祖の業を継ぎつつ今日に至る。 |
遺作・表彰歴
初代 勘五郎 代表遺作 |
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二代目 林次郎 代表遺作 |
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三代目 政吉 代表遺作 |
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四代目 唯治 代表遺作 |
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五代目 完輔 主な表彰歴 | 佐野共同高等産業技術学校に36年間携わり、
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